この記事を執筆したのは
食べられる森とは?
はじめまして。私は帝京大学経済学部地域経済学科の宮本大雅です。
今回はじめて、「おぷかの森(月noco)」さんのもとを訪れ、さまざまな活動に参加しながらお話を伺う機会をいただきました。
「おぷか」とは、小深地域が「おぷか」と呼ばれていたことで「おぷかの森」と名付けられました。
この活動は、私にとって初めての体験であり、右も左もわからないまま現地取材が始まりました。現地では、茂木町で活躍されている「おぷかの森」さんや、長年小深地域に暮らしているご夫妻にもお話を伺い、自分なりの視点で皆さんにその魅力をお伝えしていきたいと思います。
取材当日は10月中旬。季節は秋も深まり、少し肌寒い空気の中での活動でした。
まず初めにお世話になったのは、農家民泊と天然酵母パン屋「月noco」を営んでいる君島佳弘さんと紀子さんです。初対面の際から、大きな夢を持ち、それに向かって前向きに取り組まれている方だと感じました。
現在お住まいの家屋は、築130年以上受け継がれてきた歴史と伝統を感じる立派な古民家で、その姿がとても印象的でした。見学の後、道路を挟んだ向かい側にある山(竹林)へと場所を移しました。
この山は、もともと君島さんが借家として住まわれていた頃の大家さんから、家屋とともに譲り受けた土地だそうです。家と山の両方を引き継いだことで、山の管理もご夫妻の手で行うことになったと伺いました。君島佳弘さんは、この山を「食べられる森」にしたいという夢を持っており、今後は梅の木などを植えて、実り豊かで人が集う森にしていきたいと話してくださいました。単に木を育てるだけでなく、地域の人々や自然とのつながりを大切にしながら、森をにぎやかに育てていくという温かい思いが伝わってきました。

はじめの一歩…
そして今回は、とても光栄なことに、記念すべき第1回目の篠竹刈りを体験させていただきました。初めての篠竹刈りは緊張しましたが、自然と向き合う貴重な時間になりました。
篠竹刈りの作業では、鎌とノコギリを使って一つひとつ丁寧に竹を切り進めました。
作業を始めた当初は、山の形もはっきりわからないような状態でしたが、作業を終える頃には、そこに山を登るための小さな道が現れていることに気づき、大きな達成感を覚えました。
さらに印象的だったのは、初対面とは思えないほどのチームワークの良さです。力がある人は前線で篠竹を切る役を担い、折れた篠竹を回収する係、枝を細かくしてまとめる係など、自然と役割分担が生まれ、時間が経つほど作業効率が上がっていきました。その姿はまさに「One-Team」という言葉がぴったりでした。

私自身、作業をするうちに時間を忘れるほど熱中している自分に驚きました。農村での作業は普段の生活ではなかなか体験することがなく、とても新鮮でワクワクしました。篠竹を切るという単純な作業でありながら、体を動かし、汗をかき、仲間と協力することがこんなにも楽しいのかと実感しました。普段発散できないエネルギーが、自然の中での活動によって心地よく解消されていくようでした。
この体験を通して、継続的に放置林の整備に関わりたいという気持ちも強くなりました。
一方で、篠竹刈りの大変さも身をもって感じました。今回の作業で一定の篠竹は伐採できたものの、まだまだ手が入っていない場所が多く、山を維持することの難しさを思い知らされました。山や竹林は、人の手が入らないとあっという間に荒れ、危険な状態になってしまうことを目の当たりにし、改めて管理の大切さを実感しました。
私たちは約2時間にわたって篠竹刈りを行いました。
作業を終えた後、思わず「見てください!!」と言いたくなるほど、大人10人の力で山が見違えるようにきれいになっていました。
君島さんも、ここまで篠竹刈りが進み、記念すべき最初の一歩を踏み出せたことをとても喜んでおられました。その笑顔を見た瞬間、私は心の中で思わず「今日ここに来て本当によかった」と思い「農村作業の達成感がすごい!」と強く感じました。

さらに後日、「月noco」さんのインスタグラムを拝見すると、私たちが作業した後もご家族で篠竹刈りを続けている様子が載っていました。お子さんが楽しそうに作業している姿がとても可愛らしく、家族で山を育てている温かさが伝わってきました。
君島佳弘さんは栃木県黒羽町出身で、地方移住と農業を組み合わせた起業を目指していました。茂木町に移住する前は福島県須賀川市で生活しており、移住先を検討する際には栃木県茂木町と福島県猪苗代町のどちらに住むか迷っていたそうです。猪苗代町も自然豊かな農村地域で魅力的な環境でしたが、最終的に茂木町を選んでくださったことが栃木県民としてとても嬉しかったです。
お話を伺う中で、君島さんは何事も行動に移し、実行できる人だと強く感じました。実際に、山や田んぼのクラウドファンディングを立ち上げるなど、田園風景を守り育てる活動にも積極的に取り組まれています。その姿に私自身も大きな刺激を受けました。
また、「月noco」さんでは、君島紀子さんがパンや焼き菓子の販売、さらには民泊の運営など、さまざまな形で地域に根ざした活動を展開されており、多方面で挑戦をされていることに深く感心しました。

半世紀前の農村と未来の農村
午後は、長年この地域で暮らしてきた小林耕一さんとトヨコさんから、昔の暮らしや今後の農村のあり方について貴重なお話を伺いました。

―茂木町の葉たばこ産業についてー
茂木町では、明治以降に葉たばこ産業が盛んになり、この地域の土地が葉たばこ栽培に適していたことから、ほとんどの家庭が葉たばこ農家として生活していたそうです。小林さんも子どもの頃から家業の手伝いを続けており、兄弟で作業に取り組んでいたと話していました。
葉たばこの収穫は夏に行われ、その後は葉を乾燥させます。夏休みは宿題よりも家の手伝いが優先され、特に厄介だったのは夕立でした。雨が降ると庭先で乾燥させていた葉を家の中に取り込む必要だったからです。
買い物に関しても、現代とは大きく異なる生活でした。好きな時に買い物をすることはできず、年に2回の移動販売が来た時に洋服や靴を買ってもらうのが大きな楽しみでした。また、甘いものが簡単に手に入らない時代だったため、その際に買ってもらった大福は特別な思い出として残っていると話していました。
葉たばこを納める前の11月は特に忙しく、乾燥させた葉を夜遅くまで広げる作業に追われたそうです。それでも「その分新しい洋服を買ってもらえる」と思うと頑張れたと、当時の思いを振り返ってくださいました。こうした生活が続く中で農協に出荷し収入を得ていたそうですが、「健康志向の高まりで需要の減少・輸入葉タバコの増加」など、葉たばこ産業は徐々に衰退し、1970年には茂木町から葉たばこ畑が姿を消したとのことでした。

-昔の遊びと暮らしについてー
私は、小林耕一さんとトヨコさんに「子どもの頃はどのように遊んでいたのか」と尋ねました。
すると、近くを流れる那珂川で夏によく遊んでいたと教えてくれました。私自身が子どもの頃は「川には近づくな」と言われることが多かったため、当時の川遊びが身近だったことに驚きました。
小さい頃の楽しみは、移動販売で買ってもらえる洋服やアイスキャンディーだったそうです。また食生活は現在と大きく異なり、肉はほとんど食べず、秋刀魚や鯨の肉などの魚介類が中心だったとのことでした。食料は自給自足で、あるものを工夫しながら生活していたそうです。
―今後の農村についての小林さんの思いー
私は最後に、「今後、農村地域はどのようになってほしいですか?」と質問しました。
小林さんは、まず人が集まることが大切だと強調していました。
「人口をもっと増やして活気を取り戻してほしい、森をもっと活用し、より魅力ある地域にしていきたい、若い人に知識や経験を受け継ぎたい」といった思いを力強く語ってくださいました。
―私が感じたことー
小林さんの話を聞き、今の私たちの暮らしがどれほど豊かで恵まれているかを強く実感しました。物が少ない時代でも工夫し、先人の知恵を生かしながら暮らしてきた姿に深く感銘を受けました。こうした知恵や文化は、これからの世代にも引き継いでいかなければならないと感じました。また、農村の未来を考えるうえで、若者が自然や森を活かした取り組みにもっと関わる必要があると強く思いました。私自身も今回の体験を通して、地域や自然に関わる活動に積極的に参加していきたいと感じました!
こちらに「月noco」さんのインスタグラムとホームページのURLを載せておきます。 ぜひご覧ください!
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栃木県農政部農村振興課 農村・中山間地域担当 里づくりチーム
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2025若者レポーター 宮本 大雅さん(帝京大学 経済学部 地域経済学科 )